今日は地域のお祭りでしたが、お祭りが近づくにつれ、嫌な気運が高まってきているのを感じていました。
機が熟すと言いますが、その瞬間、まさにそんな気がしました。
4年前から1年間くらい、僕はずっといらいらしていた。
ママが分けのわからない病気になり、そのことで家事一切を自分でやらなくてはいけなくなり、仕事も休み、やりたいこともろくにやれず、やらなくてはいけないことばかりが山と積み重なり、とてもいらいらしていた。
毎日、いらいらしていた。
それをも、無理矢理押さえ込んで、良い父親のふりをしていた。
ママが病気にあるときでもしっかり家族を支える、ええかっこしいの仮面をかぶっていた。
でも、そんな無理はたたるに決まってる。ふとした瞬間にはけ口を求めるマグマが噴出した。
そのふとした瞬間は、たいがいたったによって作られていた。
たったは、その学齢相応のことをしていただけ。学齢相応にいたずらで、わからんちんで、愛らしかった。
でも僕は彼に、学齢よりも遙かに大人になることを望んだ。
自分一人では辛かったから、たったに、余計な負担を強いた。
それがかなうわけもなく、結果、ものすごいしかりつけ方をしていた。
あまりに自分でひどすぎると思ったから、自分からソーシャルワーカーさんに児童虐待ではないかと相談もしたほどだ。
この頃、たったに昔のことを尋ねる機会が多くて、たとえばママとパパとどっちが怖いかなんてくだらないことを聞いたりもしたのだけれど、たったは必ず、ママだと答えた。
でも僕は、気づいてた。
ほんとに怖いのは僕で、僕のあのしかり方が一番たったを傷つけてて、たったがそれを忘れてるわけがないと。
でもたったがママだって答えれば、その言葉に安心してしまう。
さっき、今朝方僕が彼をほめたことの、その理由を聞かれた。
たいしたことじゃない。ただ昨日パジャマをちゃんと畳みなさいと言ってあって、今朝それをたったは言われなくても実行した。それだけ。
だから、えらいじゃんってほめた。
ただそれだけ。
でもたったは、ほめられるのが好きじゃないという。
理由は、ないとも。
ないわけない。
「自分は、ほめられるような立派な人じゃないから?僕は、できない子だから?だめなこだから?そう思ってんだろ?」
たったは、そうだとうなずいた。
たったは、自分に自信がない。
ダメな子、できない子、そう思ってる。
そして、そう思わせたのは、僕だ。
あの頃のあのしかり方、あれが原因だ。
そのせいで、今どれほど普通の躾方をしても、全部悪いのは自分だって、毎回たったは思い込んでる。
今日はたったは、ほんとに怖いのはパパだと、正直に話してくれた。
僕は、このことを、とっくにわかってた。
僕がたったから自信を奪ったって、ずっと前から知ってた。
ずっと、謝りたかった。
ずっと、たったに当時のことを謝りたかった。
この4年間ずっと、後悔し続けてきた。
ほんとうに悪いのは僕なんだって。たったじゃなくて、パパなんだって。
そして、謝るタイミングは今だって、そう思った。
何度も何度も抱きしめながら、たったに謝った。
どうして謝ってるかってことも、全部話した。
何が悪くて今こうなのか、それ全部。
だから、パパが悪いんだって。たったはちっとも悪くなくて、ただ普通の男の子でいただけなんだって。それを必要以上に叱ったパパの方がおかしいんだって。
パパはちゃんとたったを愛しているし、もしそうでなければ、逆になんにも言わないでほったらかすし。
たったは、わかってくれた。
ほめられたら、喜ぶって、嬉しいって言ってくれた。
一つ、ヘンな壁は壊せた気がした。
でも、最後まで、何度抱きしめても最後まで、たったは抱きしめ返してはくれなかった。
まだ、ちゃんとし切れてないんだなって思う。
僕が彼にしたことは、これしきでチャラになるほど安いものじゃないってことだろう。
でも、確実に一つ前に進めた手応えはある。
たぶん、引き続き、僕はまだ試され続ける。
本当にたったを心から愛しているのだと、そう彼に認識してもらうまで、僕がそう表しきるまで、まだ、試され続ける。
僕が彼にしたことの責任は、重い。
それは彼が自力でどうにかすべきことなんかじゃなく、ちゃんと僕が、始末しなきゃいけないことだから。
神様は、どうしてこんなに良い子を、どうしてこんなにダメな親の元に遣わされたのか。
神様にも、今日この機会をくれたことと、あんなに良い子をくれたことに、感謝します。
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