たくさんたくさん鎧をまとって生きている。
それを脱ぐのは並大抵じゃない。
だって、脱ぐも何も、着ていることすら普段は気がついてないから。
着る必要の無いときにまでそれ着てて、あ、着てたってやっとわかった。
着てるせいで、完全に目的がそれてしまったりする。
それてしまって、あ、着てたんだなって知った。
脱いでるときもある。
僕の場合は、こないだ3日間で作品作ったときがそう。
完全に脱いでた。
脱いでたから、たった3日間で完成できた。
それ以外は、常に着てる。
着てることがわかった。
あんなに楽しんでる作品作りの最中でさえ、毎回それ着てる。
むしろ、制作中が一番たくさん着てるかも知れない。
生徒の前では、ほぼ着てないだろう。
僕が着てるのは、他人にこう思われたいという願望。
自分の本性を見せないための防御。
裸で生きてない。
人は、野生でなく理性で生きるために既に服を着てるのかもしれない。
なら、これ以上何かをまとう必要は、本当はない。
だったら、裸で生きてて良い。
服を脱ぐ。
僕の場合は、自分を必要以上によく見せようという意識の鎧を脱ぐ。
それが、自分自身として真剣に生きる覚悟かも知れない。
友人や同僚は、きっとお前は着てないって言うだろう。
それくらい、自由に生きてる印象があるだろう。
でも、そうじゃない。
そう見えるだけで、ほんとはとても小さい。
鎧の中の自分は、とても小さい。
それを隠すために、大きな鎧を着てるんだし。
それ脱ぐのは、怖いよ-。
これはあくまで僕の考え方だけど、みんな人生を選んで生まれてきてる。
ゆめも僕もたった達も、ママでさえ。
全部、これで良いとして生まれてきてる。
その中にあって、今鎧を脱ぐかどうかは、僕の選択。
脱がない人生も有りだし、脱ぐ人生もあり。
選択次第で、この先が変わる。
どっちを選んでもいい。
たぶん、選ばない場合は脱がない人生だろうと思う。
その方が、たぶん楽だから。
ああ、考えるのめんどくせ。
文章に起こすのもめんどくせ。
だいたいが、誰のためにこんなことを描いてるんだろう。
説教臭いのは、生徒を前にしたときだけで十分だな。