昨夜寝不足できつかったが、今日は午前中にゆめのスクーリングのある日。
気合いで行ってきた!
少し予定より早い時間に施設へ行ったが、ゆめは準備万端整っていて、早く出かけろとうるさいこと。
学校、とにかく大好きなんだよなぁ。
予定の時間にじじが到着し、僕がゆめを、じじがストレッチャーを積み込み、いざ、入学式以来の学校へ。
ゆめのクラスは『生活さん』クラス。重度から軽度までの3つにカテゴライズされた真ん中のクラスだ。
同級生は、恥ずかしがり屋の生意気坊主が1人と、ゆめのことが大好きな気持ちを全く隠さない開けっぴろげな奴が1人。
恥ずかしがり屋さんには、朝無視された。後ろから行ったことがいけなかったのか、ものすごい笑みを浮かべてダッシュで逃げられた。
開けっぴろげな奴は、登校するなり大騒ぎだったらしい。で、ゆめに会ったらやっぱり大騒ぎだった。
今回は、2時間目からの授業に参加した。土曜日にある文化祭の販売に向けて、袋つめの作業。
1時間目の授業を見て回りながら、高等部の生徒全員と挨拶を交わし、2時間目からゆめも入れて3人で、出来上がった革製品を袋に入れる作業を頑張った。
もう拘縮が進んでほとんど可動域のない手、握力だって計測不可能なほどしかないが、それでも精一杯革製品をつまんで支え、先生が押し込む。サイズがぴったりすぎてなかなか袋に入らないのを懸命にこらえていた。
約1時間15分の作業。終わった頃にはすっかり疲れ果てていたが、お別れの際にはまた全員と挨拶を交わせていた。
ゆめに出来ることは少ない。とても少ない。
でも、そんなの関係ない。
みんなと協力して何かを成せる喜びは、学校でしか味わえない、施設では味わえない喜びだ。
それをゆめに与えられるなら、仕事なんかいくらでも休んでやる。
ゆめに注ぐ愛情と、時間と、金には、糸目は付けない。
ママが病気になり、家族のことを僕が仕事を休んで全てやるようになった5年前の自分の日記には、数年後、病状から出来なくなってきてる今を、それでもまだいろいろできてたと懐かしく思い出すだろう、だから今を精一杯楽しもうと書かれている。
あの頃と比べると、僕は変わった。
あの頃よりも出来ることはさらに減ったが、まだ出来ることがある。そっちへ目を向け続けるようになっている。
あの頃が懐かしい気持ちは、ない。
あの頃も幸せだったが、今も変わらず幸せだ。
生涯の伴侶と決めていた人は失ったが、まだ、ゆめを失ってはいない。
まだまだ。
ゆめが別な場所へ戻る最期の最期まで、何も惜しまない。