情報機器は半ば放棄したが、唯一希望がある。
中学3年の時の担任さんが、ノートを用意してくれた。
そこには、二語文、三語文とか、言葉の連なりのカテゴリー分けで、ゆめが発する単語が記録してあり、今も少しずつ、看護士さんや僕や先生で書き足して増えている。
ゆめの発音がわかり難いときに頻繁に手に取って読みながら聞き直すので、すっかりぼろになってしまっているが、ゆめ自身がそこに自分の言いたいことが書いてあることを知ってて、なんかあるとそれを見ろと、先生にはアピールするらしい。
ただ、今のカテゴリー分けだと探すのが大変なので、『食べ物』とか『学校』とか、大きなカテゴリーで区分けして単語を書き足す形を提案してきた。
先生も、ぼろくならないような材質の新しい手帳に変えましょうと言ってくださった。
非常にアナログな方法だけれど、こちらが最大限推測しなければ成り立たないコミュニケーション方法しか採れなくて、おまけに文字が読めないゆめには、これが一番いいのかも知れない。
7万円もしたipadよりも、ほんの数百円のノートで事足りるらしい。
おまけにそれ、今のうちに充実させておけば、卒業後に定期的に時間を取ってみっちり関わる人(今は先生)がいなくなっても、使える。
たぶん、これがゆめにとって12年間教育を受けてきた中で、一番の財産になる気がしてる。
僕にとっても、ゆめが生きた証しとしての一番の宝物となるだろう。
中3の担任さん、ほんとに良いものを残してくれた。
皆さん良い先生だったけれど、NO.1だなぁ。
こういう人を引き寄せるのは、ゆめが生まれ持ってきた特性なんだろうな。