親子の会話

たったの、小学校入学許可通知が届いた。
早いなぁ、もう小学生か。
そういえば、休職してた2年間もあっという間だったし、復職してからもあっという間に3ヶ月だ。

「たった、お前にはがきが来たよ。小学校に入学してもいいよって書いてあるよ」
「ほんとう?見せて見せてっ」

無邪気なものだ。
こう言うのって、彼の記憶にとどまるのかな?
僕は、この年代の記憶なんてろくにないが。


「たった、カードゲームのカードや、オーズのベルトとかは、欲しくないの?」
「いらないよ。ぼくはらQが欲しいの」
「お友達は、そういうのを欲しがったりしてるんじゃないの?」
「○○くんは、オーズのベルトをサンタさんにもらうって言ってた」
「お前は?サンタにもらわなくて良いのか?」
「いらない。小学校に入ってからも、ずっとらQがいい」
「そんなこと言ってさ、小学校上がったらお友達がカードとかやってたりして、見てれば欲しくなるんじゃないのか?」」
「なんないよ」
「なんで?」
「だってねぇ、らQとかーどじゃぁ、脳みその中の良くなるところがちがうんだよ」


こいつは、良くもまぁそんな難しい理屈を覚えてるモンだよ。
確かに以前、それに近いことを話したけどさ。


こういう会話は、ちゃんと記憶にとどまるのかねぇ。
僕には、親父とそういう類の会話をした記憶は一切ないけど。
っていうか、幼い日々の記憶のどの部分を切り取ってきても、親父と会話を交わしたという記憶なんてもの自体がない。
果たして、会話してても忘れてるのか、会話そのものがなかったのか。
うちの家庭事情や親父の性格からして、後者の方が確率高いけど。










僕は親父の性分も、多分にひいてる。
ママが元気なら、子供と必要以上に会話するなんてことはほとんどなかったかもしれん。
今は父親母親の両方の役割があり、未だそれらをうまくできてないけど、少なくともそうする機会は多い。
ママ止まりで終わってしまうはずのことでも、全部僕が引き受けることになる。
正直言って、何気ない日常会話ですら、得意じゃない。ここでは結構饒舌であっても、なんなら、一日中でも黙って過ごしていたいくらいだ。
強制的にしゃべらされてる勤務中の反動で、家の中では余計に口が重い。
黙ってて何を考えてるかというと、それはもうあらゆることを常に考えてる。
小は明日の夕飯のおかずを何にしようかと言うことから、大はゆめの葬式はどのような形にするかなんてことまで。
飯食いながら、本読みながら、けっとのおむつ変えながら、たったに「もっとしっかり歯磨きしろ」って言いながら、いっつも頭の片隅になにがしかの思考がある。

だから、四六時中しゃべりまくってるかのようなたったとの会話は煩わしい。
自らそうするならともかく、余計な言葉をかけられて思考が中断されることを好まない。
特に今みたいな、けっとが病気しててその様子を常に監視していたいようなときには。

でも、子供にとっては会話は大切だ。
なにしろ、何気ない会話の中身をしっかりと小さな脳みその中にインプットしてしまうような連中だ、しっかりとしたコミュニケーションの芽を育ててあげなきゃいけないんだろうし。
なにより、我が子と大人のつきあいをするようになってから、ちゃんと会話出来なきゃいけないしな。
今になって僕とのつきあい方に困惑してるじいじを見てると、その重要性がますます重みを増す。


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