記憶

ゆめパパ

2014年02月06日 21:50

ママのことを思い出したついでに、ママが意識不明になってからのことも思い出していた。

看護士さんたちは、意識がなくても耳は聞こえてるって言ってた。
ドクターは、聞こえていても、それが誰の声で何を言ってるのかは認識できないって言ったことがあった。
実際、そこんとこどうなのかは、ママに聞かなきゃわからない。でも、ママは何も教えてくれないまま逝ってしまったので、想像するしかない。



僕が良い報告をした時や悪い報告をした時と、ただの世間話をした時とで、ママの反応は全く違った。ただの世間話では、ほぼ無反応。でも、良いこと悪いこと含めて、特にゆめに関する悪いことには、ものすごく反応した。それまで身じろぎ1つしてなかったのが、苦悶の表情を浮かべて体を波打たせるかのように動いたりもした。
この頃は声を出すことは全くなかったのだけれど、ゆめの悪い報告の時だけは、うなったりもした。


僕は、だから、聞こえてるし認識もしてるって結論付けてる。
誰も本気で信じてはくれないけど、冬休みまではなんとか頑張って生きてくれってお願いした時には、大丈夫だよってテレパシー送ってきたし。
ほんとに、聞こえたんだから。
そして確かに、冬休みの始まるその日まで、生きてくれたし。



温泉だけど、僕が日本中の温泉を回ってたのは、何も自分の趣味でって事じゃない。新婚旅行が、かつて僕がバイクで回った九州・四国を再度トレースする軽自動車の旅だったのと同様、年取ったら、一緒に二人で行こうと思って、その下調べも兼ねてた。すでに、何カ所かは、ゆめとママを連れて行ったし。
定年迎えたら、ママと思い出の中のゆめを連れて、僕が気に入った景色を見せ、とびきりの温泉に入ろうって、そう決めてた。
まさか、こんなに早く手の届かないところへ帰って行っちゃうなんて、思いもしてなかったからなぁ。
こうなるんなら、もっと一緒に旅行しとけば良かったよ。
何度目かの河口湖湖畔のホテルで、たった一度だけ、夜中に二人で散歩したことがあった。ゆめのことが心配で、寝た後も抜け出すなんて考えもしてなかったんだけど、あの時だけはそうしたんだ。
寝静まったゆめとたったを残し、オープンテラスで二人でなんか飲み物飲みながら、たわいない話をして、夜空と、湖を眺めた。
あの時の嬉しそうなママの笑顔。
その笑顔を、僕はもっとたくさん作らせてあげたかった。
生きてるうちに、そうすべきだった。
それでも、たった一回でも、それがあることで救われる。
ママの病気は、その翌年に発覚したから。
あの夜、ママの胸元には、ダイヤが1つ輝いてた。
プロポーズの時のダイヤ。






もうすぐ僕らの、ママが生きてたら15回目の結婚記念日だ。
バレンタインデー
それが僕らの、結婚記念日。
ああそうだ。ママが闘病に入ってから、初めてじゃないかな。こんなにはっきりと、自分たちの結婚記念日を意識したのは。
スウィートテンダイヤに次いで、スウィートトゥエンティーダイヤももらうって、そういってたけど、全然足りないじゃんね。
スウィートテンダイヤを受け取っていくらも立たないうちに亡くなって2年もたつのに、20年目なんてまだ、この先5年もあるぞ。


早すぎだ、バカ。
俺は、死んじまった奴なんかに、ダイヤなんかやらんぞ。






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