ママの、幸せ
今日、自分の携帯しか持っていてなくて、楽しそうなたったを撮影しようとしてもデータが一杯だった。
この老眼きつい目玉では小さくてよく見えないサムネールを拡大表示しながらいらない写真を削除してたら、まだ咽頭分離してない頃からちょうど状況苦しい頃のゆめの写真がたくさんあった。
苦しい頃ってのは、てんかん発作がやたら頻繁で、僕以外には吸引ができないので、学校で発作を起こしては救急搬送されてた。
6年生だったから、修学旅行について行ったっけなぁ。
楽しそうなゆめの笑顔・笑顔・笑顔。
まだおしゃべりができたから、バスの中で歌ってる写真もあった。
ゆめは、カラオケが大好きだった。
なんならほんとに目の中へ入れても良いくらいに、愛しまくってる、僕のゆめ。
そういえば、先週末は会いに行けなかったな。
怒ってただろうなぁ・・・
そんなゆめの写真に混じって、療養中・・・いや、療養期間なんてなかったな。これすべて闘病だった、ママの写真もあった。
こんな処へ連れて行ってたんだ。
こんなもの食べに行ってたんだな。
休暇期間中だったらしく、どれも、ママと僕の二人きりであちこち行った写真。
僕が撮るので、当然ママしかいない。
ママは、ママじゃない顔してる。
病気と闘ってるママの顔。
知ってるようで知らないような、ママの顔。
まだ生きてた頃の、ママ。
この頃は、まだ、ママは生きてた。
もう今は、写真でしかその顔を見られないし、過去形でしか語れない。
僕は、ママを幸せにしてあげられてたんだろうか・・・
いいや、今幸せに生きてることが、ママへの最大の供養なんだよな。
僕らの幸せが、ママの幸せ。
絶対に、そう。
だって、もっと僕にくっついきたくて近づきたくて、それで妊娠を望んだような人だもの。文字取り、自分の分身が僕のそれと一心同体になってる子供達の幸せは、ママのそれと同義に違いあるまい。
今日は、たったにたくさん笑顔をプレゼントしたよ。
今度はゆめやけっとも、もっと笑顔にするよ。
それが、望みだよな。
な、ママ?
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